プロフィール

こんにちは!ディレくまです。
僕は東京のWeb制作会社でWebディレクターをしています。

Webディレクターって何をする人なの?とよく質問され、オーケストラの指揮者やドラクエの勇者に例えられることが多いのですが「Webの仕組みを活用し、課題解決のためのゴールに導く人」だと思っています。

多くの人と関わるので大変な事も多い…ですが、その分やりがいのある仕事です。

そんな僕は進路を決めずに高校を卒業し、1年間のフリーターを経てWebディレクターを目指し上京しました。

今でこそやりたい仕事ができているのですが自分の人生をなかなか決めれず、中途半端に生きてしまっていたので、このブログを始めるきっかけと合わせて自己紹介したいと思います。

生い立ち

僕は1993年に山形県で生まれ育ちました。

父はホテルの料理人、母は専業主婦という家庭で育ち、幼稚園〜小学3年まで水泳、小学四年からはサッカーとスポーツが得意で目立ちたがり屋な少年時代でした。

また小中とサッカー部の部長で人をまとめたり、中学では県の優秀指定選手に選出されたり、さらに憧れていたサッカー部の先輩が通っている高校に進学できたりと順風満帆でした。

しかしそんな幸せは長く続かず、高校入学前の練習で右足の半月板を損傷し、さらに高校1年の冬に左足の半月板がバラバラになってしまいます。

手術をしてリハビリを頑張ったのですが、その後も怪我に悩まされて高校サッカーを終えてしまいました。

父の開業、家庭の収入が激減。

僕が中学3年のころ、父がステーキ鉄板焼きのお店を開きました。父は10代から料理人をしていて、東京のホテルをはじめ、いくつかのお店で経験を積んでいます。

そのため料理の腕は確かで当時、山形にはステーキ鉄板焼き屋さんが少なかったため上手くいくと思っていました。

しかし現実は甘くなかったです。

Webの知識がないためぐるなびや食べログの登録をしていないなど、Webでの集客や告知ができていませんでした。

横の繋がりのみの集客だったのでお客さん増えず、収入が激減しお金に困るようになりました。

やりたいことが見つからない高校時代。フリーターの道に進む。

情熱を注いでいたサッカーも怪我で上手くいかず、お金もなかったので高校卒業後は就職しようと考えていました。

僕の高校は商業系の資格取得に力を入れていて県内では比較的よい求人が集まるようなところでしたが、

高校3年の秋。

いざ就職先を決める状況になると決断ができず、突然進学するという選択をしてしまいます。(奨学金制度を知り、お金を借りれば進学できる!と思ったのです。)

やりたいことをコロコロ変えた結果、大学受験も失敗して高校3年の3月時点で就職も進学先も決まっていませんでした。

このままでは何をやっても中途半端になると考え、父の店を継ぐという名目でフリーターとなり高校を卒業します。

4月から就職や大学生になる友達をみて、不安で押しつぶされそうでした。

Webディレクターとの出会い

高校卒業後はバイト2つを掛け持ちし、不安を消すように朝から明け方まで働いていました。

そんなこんなでフラフラとしている僕に家族が心配しているころ、とりあえず資格でもとろうかと本を眺めていると「Webディレクター」という職業が目につきます。

そこには「プロジェクトのまとめ役」「Webの幅広い知識が必要」と書いてありました。

昔から好きだった「まとめ役」さらに「父のお店をWebの力で広められる」この仕事に出会うためフリーターになったんだ!!と衝撃が走りました。

東京にあるWeb学校の夜間半年コースに通うためバイト量を増やし、2012年3月に上京します。
その後、半年間の受講を終え、運良くにWeb制作会社に入社することができました。

1社目:ECメインのWeb制作会社

1社目は社員数が10名ほどの楽天市場に出店するお店のWebサイト制作がメインの会社で2年間、クライアントのECサイトコンサルティングやWebディレクション、コーディングを学びました。

この会社では失敗をたくさん…たくさん経験させてもらいました。

・仕事ができずクライアントに担当を外せと言われる
・絶対に怒らないと言われている女性デザイナーさんをブチギレさせる
・電話対応中、訛りすぎててお客さんが聞き取れないため、もう電話でないでと言わる
・本番サーバーで、、、、、、などなど

入社してからの半年間ほど結構な頻度で泣きながら帰宅したのを今でも覚えています。

ただ先輩たちは厳しくも優しくご飯に連れて行ってくれたり相談に乗ってくれたり誕生日を祝ってくれたりととても温かい職場でした。

2社目:コーポレートサイト制作メインの歴史あるWeb制作会社

Webディレクターとして一人前にになるため転職をしました。

2社目は1990年代前半に創業しWeb制作事業を早くに取り入れたこの業界では歴史ある会社です。社員数は60名ぐらいでWebディレクターが20人ほどいて、社内にデザイナー・エンジニア・プログラマーがいるのが魅力的でした。

ここではアシスタントディレクターとしてWebサイト運用のディレクションやコーポレートサイトのリニューアルのアシスタントを担当し、2年かけて1人前のWebディレクターとして認めてもらいました。25歳冬の出来事です。

その後はコーポレートサイトリニューアルやシステムが絡む開発、コンペに参加しプレゼン、受注などメインディレクターとして様々なクライアントの課題解決をするため力を注いできました。

目標を達成し、その先に何を描くか

1人前のWebディレクターになるという目標を達成し、Web業界で働き始めて約7年。
これまで数10社のクライアントの課題解決をしてきましたが、自分が本当にやりたいことはなんだろうと悩んでいました。

もちろん仕事は全力でやりますが、プライベートでは熱を注げるものが見つからずふらふらと過ごす毎日。ブログも初めて見るが更新が続かず途中で挫折。自分が嫌になっていました。

そんな中、Amazonプライムビデオで偶然見ていた「宇宙兄弟」。天文学者のシャロンは主人公の南波 六太に言いました。

「迷った時はね、どっちが正しいかなんて考えちゃダメ。どっちが楽しいかで決めなさい。」

「今のあなたにとって・・・一番金ピカなことは何?」

この言葉をきっかけに自分の金ピカは何だろうと真剣に考えるようになり、「山形の魅力を広める」こと「事業の課題解決をする」だと気づきます。

1つ目の金ピカ:山形の魅力を広める

山形のワクワクを探究するメディア「LAFEAN」の誕生。

2019年冬に高校サッカー部の後輩と卒業ぶりに再会しました。仙台でデザイナーをしているらしく「山形のワクワクを発信するメディアをやりたい」と持ちかけたところいいですね!!と意気投合。

そこから1年かけてコンセプト設計などを行い、2020年秋に山形のワクワクを探究するメディア「LAFEAN」を公開しました。

四季がはっきりしていて海・山・陸の食材に愛されている山形。そんな山形で自分たちがワクワクする情報だけを発信しています。僕たちの想いに共感してくれたメンバーが2人増え、現在は4人でLAFRAN編集部として活動をしています。

これからもたくさん発信していきますので山形に旅行したいなーと思ったらぜひチェックしてください!

■LAFRAN 山形のワクワクを探究するメディア
Webサイト
Instagram

2つ目の金ピカ:事業の課題解決をする

Webの活用は難しそうに見えて少しのヒントがあればお金をかけなくてもできることはたくさんあります。

いきなり制作会社や代理店に依頼するのではなく、まずは自分たちで0 → 1の基盤を作りそれを10や100にする時に相談をするのが良いです。(その方が自分たちがやりたいことを上手く伝えられるので)

ディレくまblogでは「その0 → 1の基盤を作り」のお手伝いができればと考えています。

僕がWebディレクターを目指したときはパソコンで天気予報やyahooニュースを見るだけでした。そこからこれまで学んできたことをディレくまblogで発信していければと思います。

まとめ

ここまで読んでいただきありがとうございます。

上手くいかないことが続き、自分の金ピカを見つけるまでに時間がかかってしまいましたがようやく情熱を注げるものが見つけられました。

こんなご時世です。今まで通りができなくなり工夫することが求められています。良いこととして、スマートフォンが普及しいつでもどこでも情報を調べることができるようになりました。

Webを使って事業のブランディングや集客・告知のヒントを発信し、少しでも課題解決のお手伝いをする。

そんなことができたらいいなと思っています。

Webの力を信じて。

2021年7月26日 ディレくま